星箱

★ 星箱(ほしばこ)なるものを見つけたのは十年以上も前、当時仕事で頻繁に訪れていた関西の地方都市N市の古本屋でのことである。星箱はその店の日本文学の棚の片隅に唐突に並んでいたのだ。それは一辺が15cmから20cm程度の様々な大きさの四角い黒い箱で、よく見ると蓋が付いていた。一つを手に取ってその蓋をそっと開けてみると箱の底に銀河の写真が見えたのにはちょっと不意打ちを食らった。他のものも調べてみると星座や彗星それに月の描かれている箱もある。意味不明のオブジェではあったが、どこか当たり前の顔をして古本たちに混じっている。ふと近くの本に目を遣るとそこは稲垣足穂のコーナーであるらしい。それでなんとなく納得した。 

 

★ 店主の説明によれば、それは星の光や月光のエッセンスを凝縮して箱に詰めたものだという。蓋を開けておくとそのエッセンスが少しずつ周囲に放射して月や星の光を浴びるのの何百倍もの効果があるらしい。 

「何百倍もの効果というと?」

私がそう質問すると、こちらにやってきて箱を一つ手に取ると蓋を開けて夜空が描かれている内部底面が壁のように垂直になるように、平積みにしてある大きな画集の上に置いた。そしてどこからか真っ白な鳥の羽根を取り出して私の目の前に差し出した。くるんとカールしたところが好ましい。

「星箱の前にこの羽根を置いてお目にかけます」

凝視する私の目の前で羽根はゆっくりと浮上を始め、数十秒後にはふわふわと宙を舞っていた。

「種も仕掛けもございません」

さらに店主は続ける。

「あいにくここにはございませんが、ハーモニカやオカリナなどの小さな楽器をそばに置くと独りで美しいメロディーを奏でるのでございます。またワインやコクテール、もちろん普通のソーダ水の類でもよろしいのですが、その風味を格段に向上させることでございましょう。読書の際に手元にあるだけで難しい哲学書の内容もたちどころに分るなどの効能もございます。また、私は確認しておりませんが、宝石を箱の中に入れておくとカラット数が僅かに増えるそうでございます」

 

★ 店主の古風な口上を聞く私の頭に浮かんできたのはもちろん稲垣足穂の「星を売る店」である。星を星箱に変えてこのファンタジー短編のパロディー(いや、オマージュと言うべきか)を演じるこの男は相当なタルホファンのように思われた。「星箱を売る店」!愉快な気分になった私は星箱を3つも買って店を出た。酔狂なことである。値段は確か一つ数百円程度だったと記憶する。絵柄は彗星、三日月、銀河で、銀河からは巨大な手が出現してマドラーのようなものでコップの中身をかき混ぜていてちょっとシュールな雰囲気だ。これは飲み物に効果ありというマークだと勝手に解釈した。ホテルに戻って星箱の包みを解くと一枚の名刺が出てきた。星座をあしらったその青い紙片には「星月塔商會」と書かれていた。古本屋ではなく星箱の製造元の名前であるらしい。

 

★ この手の込んだジョークを信じたわけではもちろんなかったが、出張から戻ると近所の手芸用品店で袋に入った鳥の羽根を買ってきて星箱のそばに置いてみた。羽根が宙に浮くことはなかった。また、たまに部屋で酒を飲むときなど星箱を机の上に並べてその味覚上の効果を確かめてみた。しかし、もともと酒の味がよく分からない私には何とも判断しかねるのだった。ただ不思議に思ったのは、星箱を出しておくといつのまにか蝶々が来ていることが何回もあったことだ。私には微妙すぎて感知できない星の光線のエッセンスを感じ、それに惹きつけられたのかもしれない。そう考えると星箱は本物だったようにも思えてくる。その後何回も引越しを繰り返すうちにどこかに行ってしまって今はもう手元にないのだが…星月塔商會の住所には一度訪ねて行ったことがあるが、雑草の生茂る空き地が広がっているばかりであった。そうなると唯一の手がかりはN市の古本屋であるが、まだあるのかないのか、敢えて調べないでいる。なんだかすべてを曖昧なままにしておきたくて。 (2010年8月 フィクション)


 

更新

2018-7-11

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La fotografio kaj kolaĝo

per Akihiro Kubota

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